勝谷誠彦からみなさまへ

これまで応援をいただいたみなさま、ボランティアのみなさま、地元や遠方から、力強いご支援を賜りましたこと、誠にありがとうございました。

勝谷まさひこは、この広い県土で「明るく楽しい兵庫県」を訴えて回り、64万6967人もの県民のみなさまから大切な一票をいただきました。スタッフとして心より御礼申し上げます。

残念な選挙結果ではありましたが、最後に勝谷まさひこ本人のメッセージをお伝えします。

最後のご挨拶となりますが、これまでご支援賜りましたみなさま、本当にありがとうございました。

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兵庫県の有権者のみなさん、世界中の私の読者のみなさん、それから私のことを嫌いだけれども気にしてくれているみなさん、ごめんなさい。負けちゃいました。
いくさは勝ってナンボです。敗軍の将は兵を語らずと言いますが、この諺そのものが、兵をナメていると、つくづく思う。敗軍の将は兵に土下座せなあきまへん。ほんまに、ごめん。こんな奴で。
大マスコミは組織票だとか何だとか言うけれども、そんなことは折り込みビラ、もとい、折り込み済み。あかん、あたまが「明日、どこどこに折り込み入れると何百万やけど、やりますか」に染まっている。
どこから集めてきたのかわからない相手の資金に対して、コツコツと『××な日々。』やテレビのギャラや、計算してみてほとんど何もなかった原稿料(泣)を足すと1回はいくさができるかなあと、いわば帝国陸軍の最後の吶喊攻撃をやってみたのだが、一敗地に塗れました。
将軍の能力が足りなかったのです。事務所の3階にいつのまにか「参謀総長」という名札を机においていちばん奥に君臨して喜んでいた高橋「ヨロン」茂さんのせいではもちろんありません。記者たちはみんな私のところを素通りしてヨロンさんを囲んでいたけれども、いやいや、そんなせいではありません。決して参謀総長のせいでは。ごほごほ。
まあ、でも、愉しかったね。人生でこんなおもしろい勝負はそうはできない。564万人の方々を巻き込んで。兵庫県の人々の顔をもっとも直接に見た漢(おとこ)であるとは胸を張れる。世界中から集った素晴らしい連中と一緒にひとつのことをやれた漢だとも、威張ることができる。
三国志か水滸伝だなあ、とずっと思っていた。いつも片手には美女がいてね。それも義勇兵ならぬ従軍看護婦、危ない危ない、なのだから。もう終わったから何でも書いてやるぜ。揚げ足とられないから。彼女たちの名誉のために言えば、指は肩に時に一本触れたくらいです。びっくり。英雄のもとには美女が来るのです。
またやる?いや、もうやりません。だから今回のことは一期一会です。これからは、私が表現する現場でお会いしましょう。でもね、ちょっと、直接お目にかかるのもいいな、とわかったので、そんな場も少し作るかね。やってくれるのは、天才マネジャーのT-1君とこの場を作ってくれている安曇野の軍師、ヨロンさんだ。今回勝っていれば「兵庫の軍師」に上書きされたのにねえ。「そうだよ~かみさんと娘まで応援に呼んだのに、サイテーだよ~」。聞こえました。いただきました。すっかり口調がウグイス嬢になっている。たれも勉強のひとつ。
また、このふたりを通じて、私を呼び出して下さい。
本当に、本当に、ありがとうね~。桑田さんを真似て両手を振るぞ~。
ありがとう、アリーナ、ありがとう、世界中の読者よ。

2017年7月3日
勝谷まさひこ拝

兵庫県知事選挙特設サイト

勝谷まさひこ
「たかじんのそこまで言って委員会」や「カツヤマサヒコSHOW」でおなじみの辛口コラムニストが生まれ育った兵庫県のために立候補!

1960年兵庫県生まれ。私立灘高校を経て早稲田大学第一文学部文芸専攻卒。1985年文藝春秋社入社。記者として活動。 国内事件のみならずフィリピン内乱、若王子事件、カンボジア内戦、湾岸戦争などの国際報道も手がける。1996年退社し、コラムニスト・小説家・写真家としても活躍。テレビ番組「たかじんのそこまで言って委員会」などで独自の論説が注目され、地元サンテレビで冠番組を持ち、多くの著名人を兵庫県に招き対談した。兵庫県知事選挙に立候補表明後県内の29市12町をくまなくまわり講演会を開催。6月11日には政策集を発表。100を超える政策をまとめ、兵庫を変える具体策を示している。

ああ兵庫県。〜勝谷まさひこテーマソング